眩惑




辺りが闇に包まれるまであと半刻ほどと言った時刻。今日の仕事は既に全て終わらせてある。気楽な気分で本を読んでいた竜二は、外から掛かった声に眉を顰めて顔を上げた。

「竜二様」
「何だ」
「お客様がいらしております。何でも、つい数日前京に来た方だとか」
「そんな奴がこの花開院に何の用だ」
「私には分かりかねます。ただ、『シマを拡大しに来た』、とか…」
「シマ?…ああ、極道か」

鼻で笑うようにして竜二は煙管を咥えた。戸の外に居る小間使いは竜二の心境の変化に気付かず、「お通ししてもよろしいでしょうか」と遠慮がちに尋ねる。「まぁ、構わん。通せ」と告げた。その内現れるであろう男について、懐柔し易ければいい、と考えながら煙を吐いた。

花開院竜二は、京全体に権力を持つ名家の跡取りだ。竜二の父は病で床に伏せがちで、実質全てを統率しているのは竜二だと言ってもいい。京には花街もあるし、賭博場もある。荒事を仕切る立場の男達ともめることも日常茶飯事だ。大抵は金と力を盾に高圧的な要求をして来るので、交渉する立場の竜二からすれば面倒なことこの上ない。そう言う奴らには一度痛い目を見て貰う事にしているのだが。今度は面倒な経緯をなしに交渉を終わらせたいものだ、と思い、また煙を吐いた。

そして現れたのは、竜二より幾らか若く見える優男だった。藍色の着物に、黒の羽織。妙に長い髪は上層が白銀色で下層が黒と言う不可思議な色彩で、これまた妙なことに宙に浮くような形を保っている。その男は驚いたような顔で「随分若い当主なんだな」と呟いた。

「それはお互い様だろう。…大体、名乗りもせずに無礼な奴だ」
「ああ、悪かったな。オレは奴良組若頭、奴良リクオだ。つい先日、京に来た」
「花開院竜二だ。まぁ、座れ」

「じゃあ、有難く」と笑ったその顔は、十代にも見えた。若頭にしても随分若い、と思った。竜二も二十を少し超えただけだから、余り変わらないのだが。

「それで、何の用だ」
「少しは聞いてると思ったんだが」
「シマを拡大するんだろう」
「ああ。それで、この辺りを統率してるのが花開院だって聞いたからな。筋は通しとかねぇとと思った次第だよ」
「それは懸命だな」
「そうだろう?」

吸ってもいいかい、と尋ねて了承されたリクオは、竜二と同じように煙管を咥えた。品定めするような無遠慮な視線をぶつけても物怖じ一つしない。若いが礼儀は出来ているし、筋を通すことも弁えている。恐らく組長や幹部の教育がいいのだろう。ふぅん、と呟いて灰を落とし、「見返りは」と訊いた。

花開院、つまりは竜二は、賭博や遊郭などの商売を認め、どう言う組織がどう関わっているかを把握し、幕府に逐一報告する。認めた組織の中で争いが起こればそれを収めるのは花開院の仕事だ。その代わり、見返りとして金や物資を受け取る。仲介役のようなものだった。
若頭であるリクオは煙管を前に突き出して笑った。随分自信が有りそうな、演技掛かった仕草だ。

「オレ達は極道だ。だが、悪いことばかりしてるって訳じゃねぇ」
「…フン、それで」
「花開院は荒事も収めるがそれの専門じゃねぇ、しかし最近喧嘩が増えてる。今は未だ収められるが、後々どうなるかは分からねえ―って言うのを聞いた。そこで、だ。奴良組の人員を、花開院預かりで用心棒として働かせる、ってのはどうだ。同盟、とでも言うかな。悪い話じゃねぇだろう」

確かに花開院には、荒事を専門として扱う部門はない。そろそろ専門の人員が欲しいと思っていた所だ。極道からの人員とは言え、預かりと言う形ならば、信頼も出来る。
竜二も、悪くはないな、と思った。ただ、そうすぐには決められない。

「確かに悪くはない話だが、此処で俺が決める訳にはいかない」
「…ま、そりゃそうだよな」
「今度、うちで預からせてもいい奴を全員連れて来い。幹部も最低一人以上だ。そうでないと預かりの意味がない」
「分かってるさ。そっちはいつがいいとかあるかい」
「お前が望むのなら明日にでも。夕刻は既に塞がっているが、その前なら構わない」
「じゃあ昼辺りに伺わせて貰う事にする。いいかい」
「あぁ」

細い煙を吐いて頷く。話はほぼまとまり彼の用も済んだ筈だからそこで去るのかと思っていたのが、相手はなかなか立ち上がる素振りを見せない。訝しく思って顔を見ると、先程までとは違った表情のリクオと目が合った。先程までの顔が若頭としての威厳を持った顔だとすれば、今の表情はまさしくただの若者、だった。リクオの正しい年齢は知らないが、恐らく年相応の。

「…何だ、帰るんじゃないのか」
「え、あぁ、いや…」
「…歯切れの悪い奴だな。先刻までの弁舌はどうした」
「一応、オレも気張ってたんだよ。この辺仕切ってるって言うから、もっとおっかねぇ奴が出て来るのかと思ってた」
「良かったな、俺が優しくて」
「全くだ」

冗談のつもりで発した一言が思いがけず素直に受け取られてしまい、面食らった。竜二が嘘吐きで狡猾だと言うのは今や京全体に知れ渡っていると言ってもいいのだが、つい先日やって来たと言う人間がそんなことを知る筈がない。初対面でも竜二の険しい表情で戦く相手も多いのだが、リクオはそう言う性質ではないらしい。絡み辛い相手だな、と思った。竜二が陰ならば、相手は陽だ。そう言う類の人間とは、今まで余り接したことがない。

「竜二」
「…何だ」
「オレはお前と親睦を深めたいんだが」
「…はぁ?」
「こう言う世界では、余り年が近い奴とは知り合う機会がないだろ?そもそも若い奴が少ないしな」
「…まぁ、そうだな」

見るからに年下の男に行き成り呼び捨てにされて不満に思った竜二だが、それを口に出すのも大人げないので止めておく。この馴れ馴れしい態度は恐らく彼本来のものだ。思えば、最初から礼儀はともかく敬語は遣えていなかったし、仕方がないかと諦めた。

「年、訊いていいか」
「…二十一だ」
「…意外に若いな」
「それはよく言われるが…お前、幾つだ」
「オレか?オレは十六だよ」

予想外に若く、内心驚いた。「そんな訳で、目下勉強中だ。お前にも世話になるかも知れねぇな」と笑う顔は、成程十六歳相応だと言えた。少年と青年の狭間、子供であり大人でもある、一等鮮やかな年齢。この辺りで十六と言えば大抵遊女か陰間だが、そう言った人間は既に純粋さを失っている。本来であれば極道の若頭だと言うリクオもそうあっていい筈なのだが、少なくとも竜二の主観では、汚れた気配がない。

彼と同じ年の頃の、つまり十六の頃の竜二は、既に全身が血に染まっていた。補佐としてではあるが荒事を仕切る輩と渡り合い、時には殴られたり報復として拉致され掛けたり、殺され掛けたりもした。逆に、竜二が間接的に幼児を含めた一家全員を死に追いやったり、部下に命じ相手の子供を拉致したりしたこともある。殺しはしないが、話し合いだけで解決する相手ばかりではない。感情が元々希薄だった竜二には殆ど苦痛もなかったが、実際心を病んで自死した部下も居る。

(こんな世界で、どうしてそんな顔がしていられる?)

竜二は、不思議だった。そして、不安でもあった。こんな男が此処に居て大丈夫なのかと。不都合があれば逃げ出すような腰抜けは要らないし、思い通りにならないからと癇癪を起されては困る。恵まれて育った未だ十六の子供が、この世界で、生きていけるのだろうか。

「オレは、この世に憎しみなんて要らねぇと思ってんだ」
「…綺麗事だな」
「今は、そうかも知れねぇ。だが、オレが綺麗事じゃ無くしてやる、と思ってる。その為に、オレは家を継ぐ。闇は全部オレが引き受けてやる」
「……」
「いつか―あんたのその眉間の皺も、オレが無くしてやるさ」

いつもの竜二ならば、これは生まれつきだ、と言って更に眉を顰めたことだろう。しかし、出来なかった。時が止まったように、少しだけ開いた口も、閉じることが出来なかった。

―眩しい。

それは竜二が初めて知る、心からの感情、だった。













時代背景は江戸から明治に代わるくらいかなと思いつつ。
続きそうですが続きを書くかは分かりません。

2011/11/5