夢のはじまり




時刻は深夜と言っても差し支えない、夜。空は黒に近い藍色で、街灯に照らされた場所以外はその空の色と同化するほど暗い。竜二は、人気がなく暗い道を怖がることもなく、淡々と下駄を鳴らしながら歩いていく。そして、その1mほど後ろを歩く影が一つ。堪えかねたように振り向いた竜二は、それでも足を止めずにその影に訊いた。

「…何処まで付いて来るんだ」
「お前に付いてってるんだから、お前が帰るまでだよ、竜二」
「俺はお前の同類を滅しに行くんだ。来ても良い事はないぞ」
「同類って言ってもな、京妖怪の残党だろ?まぁ、良さそうな奴が居たらウチの組に誘おうとは思ってるから、オレにも丁度いいんだよ」

竜二はここ最近―京妖怪が封印を壊す以前は、魔魅流と共に夜のパトロールに出ていた。主に魔魅流の実戦デビューをサポートすると言う目的で。少しの間二人のパトロールは続いたが、封印の守護者が二人やられた後、ゆらに会いに行った時期を境に京妖怪の活動が活発化した。それからは一々小妖怪を滅する事に時間を裂くことも出来ず、封印を守ることだけを考えるとの当主秀元の方針でパトロールは無くなった。そして京妖怪との戦いが終わった今、魔魅流は実戦にも慣れ、一人で活動するに事足りる。魔魅流の教育係を任されたとも言える竜二は、独り立ちさせることも大事だと考えて秀元の代理にそれを伝え、了承された。実際、残党整理と言うくらいだから各妖の力はそれほどでもない。おまけに、羽衣狐の統率が無くなり、妖はかなり広範囲に散らばっている。二人で組んで一仕事を丁寧にするより、一人一人が担当する範囲を決めてさっさと滅した方が早いことは明白だった。そして今は、その残党処理の最中である。本来ならば、竜二が一人でやる筈の。そこに何故ぬらりひょんの孫が居るのかは、知っていた。それをあえて追求することはしなかったが。

「なぁ、竜二」
「何だ」
「オレのことどう思ってるんだよ」
「少なくとも滅しようとは思っていない」
「それはありがてぇな。…いや、そうじゃなくてよ」
「待て」

公園のようなものが見えたところで、竜二の気配が変わった。それに続いて、リクオも気付く。辺りの気がざわついている。竜二が竹筒を取り出したと同時に、空気を裂くようにして妖怪が現れた。恐らくはこいつも京妖怪の残党だろう。余り品が無さそうな顔をしているし品が無いことを叫んでいるので、リクオはこの妖怪を組にスカウトすることを早々に諦めた。竜二はそんなリクオの思惑などに関せず、面倒臭そうに「喰らえ、餓狼」と呟いて水で出来た狼を差し向けた。妖怪は竜二の罠に気付かず、毛に覆われた腕を振るい、その先にある爪らしきもので餓狼を切り裂く。

「走れ、言言」

”とらえた”のだろう、竜二が本来の式神の名を呼び、体内で水を暴れさせた。至極苦しそうに暴れる妖怪に向けて違う竹筒を取り出し、「仰言」と一言呟いて無造作に中の水を放つ。いつかリクオが肌を溶かされた式神だ。あの時の痛みを思い出して、随分適当に戦う竜二の後ろで密かに苦笑した。体内では水が暴れ回り、表面は得体の知れない水によって徐々に溶かされていく。想像を絶する苦痛を妖怪に与えた張本人の顔を覗いてみたい気持ちに駆られたが、ついでだと言って滅され兼ねないので止めておいた。先程は滅するつもりはないと言っていたが、嘘吐きな竜二のことだ、本当はどう考えているかなど分からない。リクオは初対面で竜二の罠を看破したものの、次も看破出来るかどうかは自信がなかった。花開院竜二と言う陰陽師は、そう思わせるほど大きな謎を持つ人間だった。

「早くやってやれよ」
「この程度の妖怪に量を使うのは勿体ない。魔魅流が居た時はあいつにやらせていたんだがな」
「オレが斬ってやろうか?…ああ、オレ今祢々切丸持ってねぇんだった」
「…役立たずが」

ちらりとリクオを一瞥した後、仕方なさそうにもう一度水を放つ。今度は量を調整したらしく、数秒の後に妖怪は完全に溶かされて消えた。何とも言えない不快な臭いが辺りに充満する。尤も、妖怪が見えていない者はこの臭いも感じないのだろうが。

「これで終わりか?」
「まだあと2、3匹居る筈だ」
「ふぅん。この近くなのか」
「ああ。もう少し行った所に、ここより大分大きな公園がある。そこにまとめて居る筈だが…まぁ、今どうなっているかは知らん」

説明し始めたものの、面倒になったのか途中で濁し、竜二は歩き出す。足元に転がる妖怪だったものにはもう何の興味も無さそうに通り過ぎる。リクオは少しだけそれに目線を送ったが、無残なものだったのですぐ目を逸らした。そしてまた竜二に付かず離れず歩いて行く。視線の先、小さな頭に浮いた髪束が歩く度に揺れているのが本人に似合わず、可愛らしかった。

淡々と歩き目的地らしい所に着くと、竜二はまたも淡々と妖怪を滅していく。今度の妖怪も余り興味を惹かれるものでは無かったのでリクオもそれを見守るだけで済ませる。つい先刻も感じた厭な臭いが鼻を衝く。二匹同時に溶かされているせいか、より臭いが強い。竜二もやはり嫌なのか、前の一匹のようにわざと量を少なくして弄んだりはせず、溶かすのに適したらしい量を放った所でさっさと身を翻した。

「もう良いのか」
「終わりだ。放っておいてもじきに溶ける」

どんどん先を歩いて行く竜二に置いて行かれないように、異臭を放つ死骸から離れた。最後に一度だけ振り返ったが、抑々が喚いて襲いかかって来るだけの妖怪には、特に何の感慨も覚えなかった。せめて宝船を壊しにやって来たあの妖怪のように粋な奴だったらな、と溜息を吐いて、その場を後にする。

帰り道、竜二は僅かに歩く速度を遅くしているようで、普通に歩いていたリクオも余り労せず隣に並ぶことが出来た。隣に並ぶと、竜二の小ささが目立つ。高下駄を履いているにも関わらず見下ろせる位置に頭がある。履き物を脱がせればもっと小さくなるのだと思うと更に愛しかった。頬を緩ませ掛けているリクオに気付いたのか、俯き気味だった竜二が顔を上げて「何を考えている」と訊いた。怒らせない方が懸命だろうと思い、誤魔化す方向にして曖昧に笑っておいた。

「いや、さっきの質問、結局お前答えてねぇなと思って考えてた」
「さっきの質問?何のことだ」
「オレのことをどう思ってるかって言う質問だよ」
「滅するつもりはないと言っただろうが」
「だからオレもそうじゃなくてって言っただろ。そう言う意味で訊きてぇんじゃねぇんだ」
「はっきり言え」

竜二は視線を歩く先に戻しながら返した。あくまで自分から答えるつもりはないらしい。こう言う奴だったと苦笑して、嘆きを混ぜて呟いた。

「分かってるだろ」
「何をだ」
「何の為にお前の所に通ってると思ってんだ」
「気に入った妖怪を引き抜く為じゃないのか」

竜二の答えは強ち間違いでもなかったのだが、それはあくまでリクオにとってついででしかない。何度も告げていた本来の理由を無視してしらっと答える竜二。これはもう正攻法で行っても仕方ないな、と言う気持ちが浮かんだ。合わせていた歩調を大股に変えて一歩で追い越し、正面から向き合う。立ち止まった竜二の顎を持ち上げ、顔を近付ける。水の中に居るような時間が過ぎた。あと少し近付けば。そう思った時、唇の進行が何かに妨げられた。それに目を遣る。竜二のてのひらは、小さいながらもしっかりとした存在感で以て唇同士が触れることを防いでいた。仕方なく、顎に添えていた手を下した。

「…何だよ」
「こっちの台詞だ。何をしようとしている」
「お前がいつまで経っても答えないから強行手段しかねぇかと思ったんだよ」
「何の話だ」
「オレがお前を好きだって話だよ、何度も言ったろ」

もう何度目になるのか分からないが、リクオはそれを伝えた。竜二はわざとらしく今初めて聞いたと言うような顔をして、驚いた振りを見せた。からかわれている、のだろう。溜息を吐いて、竜二の肩に頭を乗せる。拒絶されるかと思ったが、意外にもそれはなかった。

「…嫌なら拒絶してくれよ。応えて貰えねぇってのは、案外、辛いんだよ」
「嫌だとは言っていないが」
「…は?」
「全てがお前の思い通りになると思うなよ、奴良組三代目」

人差し指でリクオの胸を突いて、にやりと笑う。呆気に取られている間に、竜二は踵を返して歩き始める。少し遅れて追い掛け、手首を掴んで動きを止めた。こうなることは予想していたのだろう、無理に足を止められても驚くこともなく振り返る。じっと目を合わせられて、真意を訊ねることも出来ない。リクオが竜二に惹かれた理由のひとつ、それもかなり大きなものとして、彼の目がある。形だけならどちらかと言えば垂れ目の部類に入る筈なのに、何故か鋭い眼光を放つ竜二の瞳。単純に言ってしまえば目つきが悪いのだが、それだけでは済まされない何かがある。その目に、射止められたようなものなのだ。
鋭い双眸に押され手首を掴んだまま何も言えずにいると、「離せ」と静かな声が掛かる。竜二は拘束がなくなっても逃げずに、掴まれていた手首をもう片方の手で撫でた。とりあえず流されるように、すまん、と言ったはいいが、続く言葉が出て来ない。訊きたいことは、二つあった。ひとつは、先程の言葉の意味。もうひとつは、結局自分のことをどう思っているのか。それらの答えは結局、繋がっているとは、思うのだが。
黙ったままで居ても埒が明かないことは分かっている。何か言いださねばと口を開いて、まず先程の言葉の意味を聞こうとした時、からん、と、下駄の音が近付いた。再び、言葉が頭の中から消えていく。十分な間を持って、

「…この先はまだ、お預け、だ」

と、愉しそうな声。
最後にまた笑いを残して、今度こそ歩き去る。今度は足が地面に縫い止められて、追い掛けることが出来ない。てのひらと、頬に、微かな熱が残っている。反対に、頭の中はオーバーヒートしそうな程の熱量を持っていた。冷たい、外気に侵された方の手で、竜二の唇が触れた頬をなぞる。

「…あいつ、ふざけんなよ…」

独り呟いて、頬を染めた。竜二が残した熱は自分の熱で分からなくなったが、感触は消えてくれない。
口付けようとすれば拒み、嫌ではないと言いながら立ち去ろうとし、無理に足を止めさせても逃げず、頬に口付けを残して、最後には意味ありげな言葉。ひとつひとつがリクオの心に熱を籠らせる。ひとつひとつが竜二への想いを募らせる。振り回されているのに、心が持って行かれる。
深い溜息を吐き、感情の整理のために夜空を見上げた。夜が深まり、最初歩き始めた時より星の輝きが目立っている。透明な空気に身を浸している最中も、竜二の声が脳内で反響している。何がお預けだよあの野郎、と叫びたいのを堪え、でたらめに頭を掻いた。散々起こした行動は躱され自分から迫っておきながら「お預け」、意地が悪いにも程がある、と改めて思う。そんな竜二を好きになった自分にも問題があるのかも知れないが。

今度会った時は絶対主導権を握ってやると思いながら、竜二とは反対の方向に歩を進めた。未だ熱を持った頬に、刺すような空気が痛かった。














たまにはこんな夜竜はいかがでしょうか

2011/12/28