初対面での印象は、お互い最悪だった。


宵闇に、騙る



花開院十三代目当主である秀元と懇意にしていたと言う祖父はともかく、リクオからすれば陰陽師はただただ理由もなく妖を退治する敵でしかなかったし、相手からしても陰陽師でもある実の妹、ゆらに、妖怪であることを告げておらず親しくなっていたこと、つまりは騙していたことが気に食わなかったと言う理由で、初対面からリクオと竜二は激突した。リクオは竜二を斬り付けたし、竜二は方陣を仕組んでリクオを滅しようとした。結局は、リクオが振るった刀が妖怪しか切ることの出来ない陰陽師の刀、祢々切丸であったことで竜二は物理的な傷はそれ程受けなかったし、リクオは竜二の罠を看破して滅せられることを逃れた。大事に至らなかったことが、逆にお互いの評価を高めることとなった。その時点で既に、リクオは竜二に惹かれ始めていた。
得体の知れない感情に名付けることを恐れている間に、京都での羽衣狐の騒動が悪化する。祖父に焚き付けられて遠野で修業を積んだ末、リクオも京都へ向かうこととなった。リクオは友人や部下を助け羽衣狐を打ち倒すと言う使命をはっきりと持っていたが、心の奥には微かではあるものの竜二の影がちらついているのを、自分自身で感じていた。

全ての元凶だった清明が地獄へ逃げてから2日。リクオはまだ京都、花開院本家に居た。羽衣狐が居る間はずっと自分だったこともあって、夜しか変身出来ないことを思うと不思議な、調子が狂うような気分だった。折角の自分の時間に眠る気にはならず、しかし自宅ではないので気に入りの桜もない。広い屋敷を勝手気儘にうろついていると、不意に何かが飛んで来るのが目線の端に映り、体を倒して避けた。ばしゃばしゃと音がして、濡れた玉砂利が水で光る。それが飛んで来た方向を見ると、居たのはやはり、あの男だった。

「…竜二、」
「花開院の本家にうろつく妖が居るなんていい度胸だ、と思って餓狼を放ったんだが…お前だったのか。悪いな、間違えた」
「…わざとだろ」
「気付いたか」

縁側からリクオを見下ろしながら、余りに簡単に思えるほど嘘を認めて竜二は皮肉に笑う。見破られることは予期していたようだった。終始、言葉の調子が白々しい。内心微笑ましくなった。あんな戦いの後でも竜二は竜二だ。
流石にあの重苦しいコートは着ておらず、リクオと良く似た着流し姿の竜二は艶やかで、夜によく映えた。戦闘で受けた骨折のため吊った左腕が痛々しいが、痛みなど感じないとでも言うように薄く笑っている。いつも通りの鋭い瞳からは、妖怪の姿であるリクオへの敵意は感じられなかった。

「いいのか?」
「あ?何の話だ」
「俺は妖だぜ。妖怪は黒、陰陽師は白、妖は滅すべし、があんたらの家訓みたいなもんじゃないのか」
「…フン。それを覚えていて屋敷をうろつくとはな。…まぁ、今は一時休戦だ。宿敵の羽衣狐を倒したお前を直ぐに倒そうと思うほど、俺は酷くない」
「…よく言うぜ」

この間まで情けもなく滅しようとしていた人間の台詞には思えず、苦笑した。それに気分を害すこともなく、竜二は縁側を歩む。リクオはふと、戦いが終わってから竜二とゆらの義兄弟である秋房に聞いたことを思い出した。竜二の怪我は折れた腕だけではなかったはずだ。眼前で見た羽衣狐に受けた傷と、もうひとつ。

「…なぁ、そう言えばお前、足、」
「あぁ?何、…ッ、」
「ッ…、おい!」

足の怪我は大丈夫なのか、と訊こうとした途端、その足の傷が響いたのだろう、竜二がぐらりと体勢を崩した。それも、こちらに向けて。怪我だらけの体で縁側に落ちることを危惧したリクオは、受け止めるために彼の落下予想地点へ走った。間一髪間に合い、落ちて来た体を抱き止める。余り間近で見ることはなかったが、こうして見れば竜二はかなり小柄だった。いつもの高下駄を履いていないせいもあるだろうが、昼の自分のクラスメイトである巻と同じくらいだ。竜二の正しい年齢は知らないが、恐らく同年代と比べてもかなり小さい方だろう。それを知ったことで、今までの取っ付き辛い印象が一気に和らぐのを感じた。今の、夜の自分からすれば寧ろ、かわいいと言い換えても良かった。気を抜けば頬が緩みそうになり、努めてしっかりとした顔を作ることに必死になる。惹かれている相手に、だらしのない顔は余り見せたくない。
どさくさに紛れてしばらく抱き締めたままで色々と観察をしていたが、やがて痛みが引いたらしい竜二がリクオを睨むように見上げた。低い声で「…放せ」と呟くが、リクオは敢えて離さなかった。力ではこちらが勝つことが分かり切っているからだ。おまけに相手は腕が一本使えない。このまま抱き締め続けていれば、竜二が動けないことは一目瞭然だった。あくまで折れた左腕には触らないように、しかし強く、抱き締めた。

「…おい、」
「なぁ、俺、あんたに伝えたいことがあるんだけど」
「はぁ?…何もこの状態で居ることは無いだろう、聞いてやるから俺を放せ」
「いやぁ、この状態じゃないと言えねぇな」
「…チッ。…どうせ、俺が聞くと言うまで離さないつもりなのだろうが」
「御名答」

先程までの余裕が消え不機嫌そうになった竜二を見下ろしながら、感情を整理する。しばらくそうしていたが、「…言うなら早くしろ。誰か来たら誤解されかねん」と言う声で心を決めた。腹を括って伝える順番を整理し直し、言葉を発した。

「俺はあの時、初めて会って戦った時から、あんたに惹かれている」
「…あ?」
「これがどう言う類の感情なのかは自分でもよく分からないが、これだけは言える」
「…」
「あんたが、欲しい」

一世一代の告白だった。若頭が側近も知らない所でこんなことを言っていると分かれば大騒ぎになるだろうが、今は療養している奴良組の面々も、数日もすれば京を発つことになるのだ。それに、羽衣狐が居なくなり妖気が消えたため、リクオも今まで通り夜しか妖怪になることが出来ない。契機はここしか無いと思えた。怒鳴られるのも式神を放たれるのも、いっそ金生水とやらで融かされるのも覚悟で、思いを告げた。リクオの考えとは裏腹に、竜二は暫く不気味に沈黙を保っていた。やがて、鼻を鳴らすような音がして、今抱き締めている相手が笑ったことを知る。

「…竜二?」
「お前と会ったことで、俺も確かに妖怪への考えを改めた。それは認めよう」
「そう、なのか」
「あぁ。あくまでお前と、まぁお前を慕う奴良組とやらの面々だけは、人に仇なすことを許さないと考えているようだからな」
「それは有り難いんだが、…俺の話、聞いてたか」
「まぁ、聞け。お前の話は聞いてやったんだ、俺の話も聞けよ」
「…すまん」

いきなり男から告白されてもマイペースを崩さないのが竜二と言う男なのか、それとも単に年上であることの余裕なのか。よくは分からないが妖怪に抱き締められ告白までされて平常心を保つ竜二はやはり並ではないと思った。しかも、謝らされているなど。昼の自分ならまだしも、夜の自分では今までに余りないことだ。惚れた弱みと言う言葉すらも考え付かず、抱き締めている余裕も無くなりつつある中で、リクオは竜二の言葉を待った。

「お前らが人に仇なすことはないとしてもだ。他の妖怪はどうだ?お前らが統治している地域にも限界があるだろう」
「…ああ、そうだな。確かに俺もまだ日本全体をシマにするまでは行ってねぇ」
「そうだろう?それなら、まだだ」
「…は?…何が」
「お前が本当に日本を統治出来る時まで、御預けだ。もしその時が来たら、お前が日本全土の妖怪を統治出来て人に仇なさないものばかりに出来たなら、俺はお前のものになってやる」

予想だにしない言葉にリクオの思考が停止した。余りにも突飛な発言に、いつもの嘘かとも思ったし初めから出来もしないものと分かっていてからかっている可能性もあるのだが、少なくともあの時、初対面で戦った時のような嘘を吐いている目ではなかった。竜二と言う男は他人に心を読ませる気はないようだしリクオ自身も喰えない奴だと言う感想を持っていたが、それを以てしても、魅力的な言葉だった。日本の妖怪を全て奴良組の傘下に加えることは、勿論リクオの、寧ろ奴良組の理想ではある。仇なすものは捩じ伏せて傘下に加え、監視でも付ければある程度は大人しくなるだろう。領土の拡大、それもあるが、人に仇なすものは許さないとするリクオの心情にも合致している。しかし。

「…いつまで掛かると思ってんだ。俺は妖怪だからいいが、お前は人間だろ」
「フン。そんなもの、実力で何とかしろ。出来なければそれまでだ」
「簡単に言ってくれるな…」
「俺は才あるものが好きなんだよ。お前が妖怪の主になれるような奴ならば、それはそれで面白い」

皮肉な笑みを浮かべた竜二は、密着していたリクオの胸を静かに押した。片手だけだからか元々力を入れるつもりがなかったのか、触れる程度でしかなかったそれは、それでもリクオを押し出すようにして退かせた。呆気に取られていたせいか、寧ろ自分から下がったような感覚を持った。触れた掌はきっかけでしかない。しかし、二人の間に決定的な壁を齎した。全国の妖怪を統治するまで、恐らくこの壁は消えることがないのだろう。

「…こうなったら十年も掛けずに全国統治してやろうじゃねぇか。絶対後悔させてやる」
「言うじゃねぇか。やってみせろ、待っててやる」
「…なぁ、その前に、十年御預けは流石にきついだろ、俺まだ若いんだぜ」
「俺だって若いさ。何かを成し遂げるには褒美は必要だろう、我慢しろ」
「じゃあ、せめて誓わせろ。本当に全国統治した時、お前が嘘だと言って逃げないようにもな」

リクオはそう言うと、既に身を翻し掛けていた竜二の右手を取った。本当は左手が良かったのだが、ギプスに囲われていては仕方がない。そのまま手を持ち上げて、西洋の童話の如く手の甲に口付けた。決まった、と思っていると、掴んでいた竜二の手はするりと抜けてリクオの頭をはたいた。力は弱かったが首を曲げていたせいで妙な所に力が入ってしまい案外痛い。不満で顔を上げると満面に悪そうな笑顔の竜二と目線がかちあった。

「餓鬼の癖に、十年早ぇよ」
「…え、おい、何だその顔」
「知らんな。まぁ、『その顔』も十年先まで見られないかも知れないぞ、よく見ておいたらどうだ」
「は、お前、俺が統治するまで会わないつもりなのか。それはねぇだろ」
「頑張れば5年くらいで済むかも知れないだろう。頑張れ」

無責任に激励した後、竜二は何故か軽々と縁側に戻り、最後に一度だけ振り返った。その顔がとても、愉しげだったので。もしかすると、全てを見透かされていたのかも知れない、と思った。リクオが竜二に惹かれていることも、竜二を欲しいと思ったことも。そして、見透かした上でのあの行動だったのかも知れない。だとすれば、思っていたより格段に厄介な相手と言うことになる。せめて足を踏み外したことだけは本当でありますようにと願いながら、リクオは去っていく小柄な背中を見送った。まだ宵の内、月が高くにある夏の出来事だった。












誤用的確信犯・竜二
しかし口調が分かりません

2011/08/16