「竜二」
「何だ」
「寄越せよ」



夜に溺れる


普通の人間ならばここで戸惑うだろう。何を寄越せと言うのか、主語は何処へ行った、竜二も最初はそう言ったことを訊いていた。しかし、何かを欲する張本人―半々妖である奴良リクオとそれなりに仲を深めた今では、既に慣れてしまった。妖を滅することを生業とする陰陽師である竜二が、クォーターであるとは言え妖の血を継ぐリクオと共に時間を過ごしている、と言うのがそもそも整合性に欠けている。竜二自体、こうして口づけを交わし、体も重ねるようになった今でも腑に落ちない点が多々あるのだが、リクオが部屋を訪れる度、追い返すこともなく一緒に居てしまう。最初は追い返そうともしていたが、回数を重ねる毎に面倒になり―そして今はまた違う理由で、一緒に居る。

寄越せ。その主語は、「お前の唇を」、だ。

後ろから手が伸びて来て強制的に後ろを向かされ、そして唇が触れる。これがいつもの始まりだった。全てがいつも通りだ。夜に紛れて現れるリクオは、本を読む竜二の後ろに何をするでもなく座る。時間を経て、「寄越せ」の一言。いつも通り過ぎて、笑う気にもならない。竜二は黙って舌を絡める。顔と首に触れている手が妙に熱いのは、手の持ち主が欲情しているからだろう。それを嘲笑って漸く、彼の首に腕を回す。年下の癖に自分より首が太いのが憎らしかった。

荒い息が部屋を満たす。圧し掛かられ勝手に動かれている屈辱と、突き動かされることによって起こる快楽、それらが同時に襲い、更に強い欲情を生む。断続的に喘ぎに近い呻きを洩らす竜二を見て、リクオが唇を吊り上げた。同時に赤い瞳が闇の中で煌めき、非現実的な浮遊感が湧き上がる。舌打ちをしたい衝動を抑えて手を伸ばし、銀色の髪を掴んで引き寄せた。笑い顔は見たくなかった。負けた気になる。見透かされている気になる。心に這入られた気になる。だがその顔が視界に入りさえしなければ、それらを感じることもない。身長差があるため相手に無理な姿勢を強いりながらも、唇と舌と唾液を絡ませる。その感覚に身を投じていれば、余計なことは考えずに済む。ただ痛みと快楽だけを追えば、纏まらない感情に惑わされずに済む。未だ許してやらない。明け渡しては、やらない。

竜二はいつも、事が終わってすぐ衣服を纏う。リクオはいつも着物を完全に脱がさず事に及ぶので少々乱れを直すだけで良いのだが、その僅かな間に背後から名前を呼ばれた。自分もそうなのだが、相手も随分せっかちな事だと思いながら、「何だ」とだけ返す。沈黙が落ちたので、その間に先程中断させられた身支度を再開する。帯を簡単に結び襟を直して後ろ髪を外に払った。それが終わっても続きが聞こえないので珍しく言い淀んでいるのかと思っていると、溜息を吐くような音がした。それに、心が乱され掛ける。

「分かるだろ、オレの言いたい事」
「…分からんな。分かりたくもないが」
「いや、お前は分かってる。目を逸らしてるだけだ」
「…知ったような口を」
「分かるさ、お前のことだからな」

後ろの男はきっと気障に笑っているのだろう。見なくても、分かる。そして次の台詞も、予想は付いている。何度も言われていることだからだ。その度に断って来たことだからだ。本当は、全て、分かっている。

「いい加減、オレのもんになれよ」
「いい加減、諦めたらどうだ」
「諦めきれねぇな。オレがここまで人間に執着したのはお前が初めてだからな」
「そんなことは関係ない」
「唇も体も重ねた癖に、何でそこまで拒否するのか分かんねぇな。言葉にして、確実なものとなるのが怖いのか?」

聡明なことだ。竜二にとっては厄介な程に。ぬらりひょんと言うのはぬらりくらりと躱すのが上手い妖怪なのでは無かったか。何故、こうも打つかって来るのだろうか。舌打ちをひとつして、「そう思いたいなら思えばいいだろう」と告げながら首だけで振り向いた。

「お前が認めないと意味が無いんだよ」

それでもリクオは食い下がる。想像の通り笑ったまま。タイミングが悪かったのか、自分が振り向いたからあえて笑ったように見えて、苛ついた。こうも相手の挙動が気になるのは、何らかの形で相手を意識している証拠のように思えてしまう。認めたくはないのに、確信だけはしている。惹かれていることの、確信。

「どうしたら認めるんだ、竜二」
「…そんな事は、自分で考えろ」
「オレだってずっと考えてたさ。お前とこうするようになってからずっとだ。でも、駄目だ。お前の考えてることはさっぱり分からねぇ。お手上げだ」
「諦めろ」
「それでも諦められねぇから恥を忍んで訊いてんだ」

手を伸ばされて、距離が縮まらない内に視線を元に戻した。その僅かな間に自分より逞しい腕が首に絡み、体重が掛かる。行為で生じた汗が乾ききっておらず、巻き付いた腕から滲み出すじっとりとした感触が皮膚と脳を侵す。じわじわと溶かされてしまいそうだ。本来それは竜二の式神・仰言の領分だった筈なのに。自分の領域を侵されている気がする。そのせいか、言い様のない不安と強い苛立ちが濃く重く渦巻いている心が、溶かされてしまう。

「…何故諦めない」
「だから、それは何度も言っただろ。竜二、お前が欲しいんだよ」
「こうして体を重ねてやっているだろう、贅沢を言うな」
「それじゃ駄目だ。それだけじゃ駄目だ。お前の全てが欲しいんだよ、竜二」

よくもここまで恥ずかしげもなく言えるものだと言う台詞を耳元で言われる。しかし、いつもの自信満々な気配は消え、静かな部屋の中、何処か懇願するように響いた。普段の、つい先程、事の前の竜二ならば、嘲笑ってやるところだ。そこまで俺が欲しいのか、と。浅ましい奴だと笑って、そのまま放り出す所だ。答えは出さず応えもせず、断ち切ってやる所だ。いつも通り、だったならば。

「好きだ、竜二」

いつも通りになど、もう、いられなかった。









本館で書いているような感じのじっとりした文章です
相変わらずうちの夜若は「お前が欲しい」を言いすぎですね

2011/09/16